【岩本琴枝さん】

フォトセッション・カジュアル@福岡
4人目は岩本琴枝さん

この日、琴枝さんは
前日の鮮やかなピンクのお洋服とはうって変わって

真っ白で柔らかい印象のブラウス姿

「昨日と雰囲気が違いますね」とお声をかけたら

「白い服の方が、自分自身がちゃんと写るかなと思って」
モニターに映る写真をみながら
「わたしたちに写る琴枝さん」を伝える中で
琴枝さんの目からポロポロと涙がこぼれはじめる

笑ったり照れたりしながらも
涙は、しばらく琴枝さんの頬をこぼれ続け

いろんな思いの混じった

いろんな色の涙に見えた

☆☆☆琴枝さんが綴ってくださった記事から☆☆☆
撮影に臨んで分かったことは、やっぱり自分が嫌いだったということ。

「写真を撮ってもらう」
ただそれだけのことですが、意外に辛い・・・。

フォトセッションという名の通り、自分と向き合う。

ただ綺麗に撮るのではなく、その人本来の美しさを写すという。

ここでいう美しさとは、才能とか魂のことだと私は理解している。

 

前日のセミナーで、自分の顔や表情をいいと思えて、ちょっとした意識改革をして、臨んだ撮影だった。

だけど、カメラを前にすると、やっぱり自信のなさが顔をだしてきた。

この場に及んで、やっぱり良く見られたいとか、綺麗に見られたいとか、ちゃんとして見られたいとか、そんな鎧のようなものが脱げなかった。

よそ行きの顔を撮りにきたのではなくて、素の自分・・・才能とか、魂とか、心、真の魅力を撮りに来たはずだったのに・・・。

鎧は脱ぎたいけど、脱げない。

頭では分かっているけど、やっぱり脱げない。

素の自分を出すことは、恥ずかしい。

(この文章をアップするのも実はとても恥ずかしい)

普段、自分を表現することを疎かにしていた自分が呪わしい。

表現せずに、私の良さに気付いて欲しいなんて思っている自分は、傲慢だ。

ああ、もう自分が嫌になる。

そんなジレンマに脂汗をかきながら、なんとか撮影は終了した。

 

後日、送られて来た写真をしばらく眺めた。

48歳の私が写っていた。

これ以上でも、これ以下でもない、まぎれもない私が写っていた。

まあまあいいじゃないと思えてきた。

でも、普段の私って、こんなにふんわりとは、していないよね!?(笑)

 

終わってみて思ったことは、

等身大の自分を受け入れることが大切なのだと思った。

良いところも、悪いところもひっくるめて自分。

今まで、美人じゃないから、若くないからと、自分を隠すことばかりしていたけれど、美しさは人それぞれ持っているし、顔には積み重ねた人生や、心の歴史を醸し出している。

今、気づいたけど、私って、顔にコンプレックスがあったのかもしれない。

それは思春期の頃、自分は美人じゃないと自覚した時、顔にニキビが満開で、アイドルにはなれない(笑)と悟った時から、自分で自分の価値を低く設定してしまった。

でも、人のことならよく分かる。

人の魅力は、造形の美しさとは関係ないところに感じるものだということに。

むしろ、ちょっと残念な部分があるほうが、愛らしい。

心も同じで、残念な部分があるほうが、人間臭いし、面白い。

でもね、自分のことはそう思えなかった。

私は、完璧じゃない自分の顔が嫌いだった。

 

まじまじと自分の写真をみていると、オバサンになったなぁと思う。

目尻に皺はあるけど、優しそうに笑うワタシも悪くない。

これが今のワタシ。

私は完璧な顔じゃないけど、魅力は相手が勝手に感じるもの。

時々、自分の写真を見て、自分の魅力を感じるのもいいのかもしれない。

そう思えば、スナップ写真では撮ることの出来ない表情を、写真家に撮ってもらうことは、とても意味があることだと思う。

2015年5月の私は、こんな感じ。

5年後くらいにもう一度撮ってもらおうと思っている。

5年後の私は、どんな表情しているのか、ちょっと楽しみにしている。

 

☆☆☆
自分を愛するということは
揺るがぬひとつのゴールがあるのではなく

自分を通して感じるいろんな思いを
ひたすらに受け止め続けることなのだろうと思います

この日この写真に写った琴枝さんは
きっとこれからの琴枝さんを
全身全霊で、愛し、応援してくれるはず

写真は、
琴枝さんが生きてきた「時間」を写し
その時間こそが「今」を支えているのだから

琴枝さん
素敵な時間を、ありがとうございました
写真:菅原宏

美在塾

美在塾とは、「本気で美しく在りたい女性のための」、人間であり、女性であり、ひとつの生き物である「多層な美しさ」について、ともに学び、実践していく場所です。

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