【わたしたち夫婦、なんでこんなに仲良しなんだろ?⑥】

141013

 

 

昨日のワーク、
いかがだったでしょうか?

わたしのワークの結果は
断トツでB=充実した時間が多く、
次いでA=肯定的な言葉です。

D=具体的なサービス行為と
E=スキンシップはすこしありましたが

実はC=ギフトは、
まったくありません。

わたしには
「一緒にいる時間」や
「優しい声をかけてもらう」が
とても大切でした。

でも当時わたしが菅原に口にしていたのは
ワークではまったく出てこなかったCのギフト、
つまり「物やお金」の不足でした。

いくら一緒にいてくれる時間があっても
いくら優しい声をかけてもらっても
お金がなくちゃ生きていけないのよ!と
言っていました。

このことからわかること。

一緒にいる時間、優しい声には
「不足」を感じなかったわけだから
十分にあった、
つまり、とても愛されていたのに
わたしに感じるこころがなかったこと。

なぜか
真逆の不足を指摘していること。

つまり、自分の「本当に求めるもの」を
自分自身がわかっていなかったこと。

え?自分のことがわからない?
そんなことあるの?なぜ?

あるんです。
外付けの「価値観」が多すぎると。

本当に大切なもの
本当に求めているものを自分自身が理解するには
本当は自分はどう思っているのか?を
問い続けるしかありません。

社会の常識、親の教育、友だちの意見
そういうものをすべて除いて
自分自身に問い続けるしかありません。

そうそう、
このシリーズの②でも書きましたが
そんな矛盾に加えてさらに
「家事はわたしがしなくちゃ」という呪縛に
強くとらわれていました。

ここから
当時のわたしのイメージが湧くでしょう?

わたしにとって大切な
一緒にいる時間、優しい言葉は
すでに十分溢れていたのに

愛を感じる心のなさを
「物やお金」にすり替えて
不足をうるさく指摘する。

男だったら稼ぐものでしょ!
女は子どもを産むのだから
養ってもらっったって悪くないでしょ!と

不足しているのはわたしの方なのにね。
不足しているのは、感じる心なのにね。

しかしそこには気がつかないのですね。

そんなわたしの姿、
情けないですが…本当でした(苦笑)

「相手が〇〇するのが当たり前」
「してもらうのが当たり前」

なぜなら自分自身も
「しなければいけない呪縛」だらけだから。

「わたしだって
しなければいけないことをしているのよ!
だからあなたも義務を果たしてよ!」という
こころの世界に住んでいたから。

わたしがあの本を友人からもらって
初めてワークに取り組んだのは4年以上前ですが
実は結果はいまも変わりません。

でもわたしは変わりました。

それは自分自身を知ったからです。

そして愛は、
すでにそこにあるものであり
実は手段も方法もいらないことを
知ったからです。

すでにあるものに気づくこころは
自分自身を知ることを通して
不思議と自然に育っていきました。

いやいや菅原の愛のおかげだと
言えた方が可愛いのかな?(笑)

ということで
宏さん、いつもありがとう♡

連休の最終日
台風の接近が気がかりですが
お気をつけて素敵な一日をお過ごしください^^

美在塾

美在塾とは、「本気で美しく在りたい女性のための」、人間であり、女性であり、ひとつの生き物である「多層な美しさ」について、ともに学び、実践していく場所です。

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