【わたしのうつの経緯、抜けたプロセス 振り返って今、うつとは何かを考える④】

140801

うつと自死について
わたしも子供の頃から
ずっと考え続けてきました。

こうして記事を書くようになってからも
もっともこころが揺れることだっただけに
ずっと整理ができなかったテーマでもあります。

でもようやくいま、
ひとつの答え(こころの着地点)が
見つかりました。

今日はそのお話をしたいと思います。

長く記事を読んでくださっている方は
ご存知かと思いますが
わたしがはじめて経験した人の死は
優しかった祖父の自死でした。

祖父の自死は、
わたしの人生に
とても大きな影響を与えました。

わたしはずっと
祖父を、自死を、
恐れ、憎んできました。

でもいま、とても仲良しなんです。

わたしのこころの中で、
分かり合うことができたのです。

祖父は言っています。

祖父は祖父のやり方で
「終わらせる」ことにしたのだと。

終わらせて次へ進みたかったんだ、と。

自死を選んだ祖父を、
祖父を救えなかった自分(家族)を、
ずっとずっと責めてきて

自死を恐れるおもいが
すでにこころの器いっぱいで

自分もうつになったとき
その恐怖に耐えられず
向精神薬に助けを求めたわたしが

実に、26年かかってようやく
祖父を、自死を、受け入れました。

そっか、祖父は
生まれ変わることで
「終わらせる」ことにしただけ

わたしは
自分のいのちの時間の中で
「終わらせる」に挑戦しているだけ

そっか、どちらも同じ
「生」のプロセスなんだ、と。

以前記した
「終動脈」の話を覚えていますか?

心臓や脳など、
いのちを司る大切な臓器こそ
詰まりが起こっても助けの来ない
「終動脈」をもつという話。

解剖生理を学びながら
その「終動脈」の仕組みを知ったとき
わたしは思いました。

ああ、わたしたちは
すべてを備えて生まれてくるんだ、と。

「死」を迎えない生き物はありません。

「死」は
「終わらせるちから」でもある。

もちろん次の「生」のために、ね。

どんな「死」も
「終わらせること」が
「生きることそのもの」であることには
変わりがありません。

終動脈は
おそらくこころにもあるのでしょう。

目には見えないけれどね。

そんなこころの終動脈が詰まって
生を終えるいのちだって
きっとあるのでしょう。

余談ですが、今年の2月、
森美智代さんにお会いしました。

超少食家であり鍼灸師である美智代さんに
わたしも治療家になる身として
アドバイスをいただきに行ったつもりでした。

しかし美智代さんを前にした途端
わたしはなぜか
「祖父はわたしのそばにいますか?」と
口にしていました。

そんなこと
まったく考えてもいなかったのに…

それを聞いて美智代さん
「おじいちゃんはここにはいません。
いま、赤ちゃんになって
生まれ変わったみたいです」
とおっしゃいました。

わたしは笑いました。

な~んだおじいちゃんは、ただ
せっかちだったのね、って^^

生まれ変わったおじいちゃんと
この世のどこかで再会できる

そう思うと楽しみです。

☆会いたい人と会う人生Vol.7☆
写真/超少食家、鍼灸師の森美智代さん

……….

たくさんのコメント、メッセージを
ありがとうございます。

みなさんとのやり取りすべてが
いまうつに悩まれる方に
なにかのヒントになるといいなと思います。

うつの体験シリーズは
ひとまずこれで終わりにします。

長い間、考えてきましたが
辿り着いたところは
やはりとてもシンプルな境地でした。

生きていると
本当にいろいろありますね。

だからこそ「笑顔」がとても尊いことを
わたしたちはどこかで知っています。

「生」のすべてに、こころからの感謝を。

いつもありがとうございます。

今日から8月!
今日も素敵な一日をお過ごしください。

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