【わたしのうつの経緯、抜けたプロセス 振り返って今、うつとは何かを考える③】

 

140729


身体にとって薬とは
実は「作用」しかありません。

「作用」「副作用」という区別は

作用してほしいもの
作用しないでほしいもの

という「願い」であって、

身体にとってその区別は
なんの意味も持ちません。

抗うつ剤の作用はなんですか?
抗うつ剤の副作用はなんですか?

どちらも
うつの麻痺であり
うつの助長です。

いのちに「たられば」はありませんから
もしわたしが薬を飲んでいなかったら
どうなったのかはわかりません。

でも、
わたしが完全に「うつ病」を抜け切った、と
自分自身を取り戻した、と感じられたのが
薬をやめたときだったこと

これは実感として確かです。

断薬していくプロセスで経験したこと

黄色いものが飛んでいる幻覚
頭の上に四角いおもりが乗っている異常感覚
うねり音が聞こえ続ける幻聴
不眠、悪夢、発狂、
無心、絶望、赤ちゃん返り

それらを経て
取り戻した「自分」という感覚

わたしははっきりと理解をしました。

そうか、向精神薬の作用とは、
脳(思考)、神経(意志)、肉体(欲求)
すべての麻痺と操作だったのだと。

わたしは最初「本来のうつ」でした。

それが「心療内科に通うこと」で
病院で言われる病的なうつ=うつ病
になっていったと思っていると記しました。

ここで「心療内科に通うこと」と書いたのは
「薬の作用だけ」がわたしを
うつ病にしていったからではないからです。

わたしには最初、思考と意志がありました。

その思考と意志で、
心療内科に通うことを選択したのです。

だからわたしはうつ病以前に
「お医者さまさま病」でした。
「お薬依存病」でした。
「なんとかしてください病」でした。
「被害者意識病」でした。

これらの「こころ」が
自分に「うつ病」をつくり出したのだなぁ、
わたいはいま、そう思っています。

以前、わたしの朝の習慣を記しました。

4時半に起き
排泄をし、白湯を飲み、身なりを整え
体操をし、雑巾がけをし、手を合わせる。

これらわたしが毎朝行っている習慣は
毎朝自分を「ゼロに戻す」ため。

「ゼロに戻す」とは
「終わらせる」ことでもあります。

ひとがいのちを営めば
こころも身体も現実も、
かならず後片付けを要します。

わたしはずっとこの「後片付け」を
誰かに、なにかに
代わりにやってもらおうとしていたのです。

だから日々の生活の中で
自分で自分をしっかり「終わらせる」

そのことが、
いまわたしにはとても大切です。

病を通して知りました。

「終わらせる」ことは
本当にすばらしい「はじまり」であることを。

わたしは思っています。

うつは、本当は人生の転機。

時の流れのなかで変化していく「いのち」を
味わい、楽しみ、活かしていくために

「変化を受け入れなさい」
「終わらせて進みなさい」と
与えられる神様からのギフト。

ちなみにわたしが
うつから終わらせたことは
「できない」ことです。

これは自分にはできないと、
受け入れ、認めること

ただ、それをやり続けました。

そしていま、
いのちを感じ、幸せを感じ、
ただ、シンプルに暮らしています。

……….

ここで綴ることはすべて
わたしの目から見た、わたしの景色です。

ご理解の上、お読みいただけたらと思います。

最後になりましたが
うつと自死については
明日、記させていただきます。

いつも本当にありがとうございます。

今日も素敵な一日をお過ごしください。

美在塾

美在塾とは、「本気で美しく在りたい女性のための」、人間であり、女性であり、ひとつの生き物である「多層な美しさ」について、ともに学び、実践していく場所です。

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