【久保巴さん(住所不定無職)】

150701

 

 

フォトセッション・カジュアル@福岡5人目

2週間前に仕事を辞め
この日の朝、借りていた部屋を引き払い

「住所不定無職」として
歩きはじめた久保巴さん

服を脱ぎ

こころの鎧を脱ぎ

震える足でカメラの前に居続けた

生まれたばかりの小鳥のように
生々しくておぼつかない

ここまで裸になれたのは
あなたが自分のちからで生きているから

☆☆☆

巴さんのブログ記事

菅原夫妻のフォトセッション 」から

”希望はたった一つです。

いつか、当たり前に誰かに撮らせる私になる。

その為の一歩として
ずっとお会いしたかったお二人に会いに行きます。

【いつか菅原さんに撮ってもらいたい】と思っていた願いを叶えに行きます。

なので、
今の私をそのまま撮ってください。

何を着てるかもわからないし
メイクもして行くかわからないです。

その日、私は家も断捨離して住所不定無職となります。

その足でそのまま向かいます。

これからの荷物と
身体を持って。

よろしくお願いします。

とてもとても、楽しみにしています。”

 

4月の頭だったか半ばだったか

Facebookに、菅原夫妻が福岡でフォトセッションをするという記事が上がった。
写真家の菅原宏さんと
モデルの菅原笑美子(田村笑美)さん夫妻は

東京を中心に活動されていた。

ずっと会ってみたいと思っていた。

その二人が、福岡に来る。

 

初めに知ったのは、笑美子さんの方だった。

Facebookの投稿を、多分誰かがシェアしてたか何かだった気がする。

鬱やパニック症と向き合ってきた日々を
サラサラと綴る笑美子さんの投稿に

結構長めのコメントを書いた記憶がある。

その後、笑美子さんからメッセージと共にお友達申請を頂いた。

 

投稿をチラホラ読む中で
ある日、菅原宏さんとの出会いについて書かれた投稿が目に止まった。

笑美子さんは
モデルとして
宏さんに写真を撮ってもらったという。

ほとんどスッピンに近い写真だった、と。

いわゆる「綺麗」な写真ではない事に
モデルとしては到底納得出来なかった、と笑美子さんは書いていた。

だけどその後、明らかにオーディションでの合格率も上がったという。

そこに写っていたのは

笑っているようで
戸惑っている

生の感情が有り有りと伝わる、笑美子さんの姿だった。

そこに写っていた「ありのまま」の笑美子さんと
それを撮った
写真家 菅原宏という人に、とても興味が湧いたんだ。

 

いつか、この人に撮ってもらおう。

いつか、この人に撮ってもらう日が来る。

漠然とそんな風に感じたのを、今でもしっかりと覚えている。

 

フォトセッションに申し込んだ事も忘れて
私はその後、家の断捨離を実行に移し
仕事を辞める決意もし

バタバタと旅に向けての準備に追われていた。

主催のカオルさんから
日程の確定と、
笑美子さんから当日、メイクや服装など、気になるところがあればやり取りしたいと言付かっているとのメッセージが送られてきた。

 

5月10日と書いてあって
あーっ!!っとなった。

退去日を10日にしてしまっていた。

まぁいいか。

ウッカリとはいえ、これも必然だ。

服とか、アレコレ気にする余裕など一切無くなっている。

いっそのこと、これからの旅路の記念すべき第一歩を撮ってもらおう。

旅に化粧も綺麗な服も必要無いなら
この撮影の為だけに余計な荷物を持って行く方が馬鹿らしい。

 

ある意味
私はこの日に合わせたような気がする。

ほんとに。

そんな面持ちで冒頭のメッセージを送った。

そして本当に、
退去後のその足でスタジオへ向かった。

大荷物だったのは言うまでもない。

びっくりするようなスタジオだった。

団地の一角で
間違えたかと思ったほどだ。

中はでもスタジオで
たくさんの機材がセットしてあった。

大きな荷物で顔を出すと
「巴さん?」と笑美子さんが笑った。

私の前の方がまだ残っていて
しばらく4人?ほとんど宏さんは入ってなかったから3人?で、いろいろ話をしていた。

イチゴを食べたり
お菓子を食べたり

今日が自分にとってどんな日か
話しながら既にギャン泣き状態だった。笑

メイクして来てても一緒だった。

スッピンで撮るどころか
泣きはらした顔で撮ってもらうなんて。

 

だけど

それ位
とてもとても自然に自分を出せる

不思議な空間がそこには在った。

笑美子さんの自然さや
宏さんの受容力

その時間に既に溶け込んでいた前の方も

みんなみんな
限りなく優しかった。

何も語らずとも泣けてくるような空気に
耐えれずに笑ってしまうほどだった。

 

そんな中
フォトセッションはスタートした。

 

笑美子さんと話しながら時間は進む。

宏さんは
ずっと撮っている。

会いたかった2人から
会いたかったと言ってもらった。

そんな幸せもさることながら

様々な葛藤の中、福岡を最後にフォトセッションをやめようかと思っていたと2人は言った。

だけど

福岡に来た事で
色んな思いが吹っ切れた、と。

 

どこか「モデル」や「写真家」を特別に考えていたけれど

当たり前にある人間の揺れる感情に触れて

そんな経緯に

あぁ、こんな人達が撮るから「生々しい」のか、と

改めて
会いに来て良かったと思ったんだ。

 

普通に生きている人達だった。

普通に感じている人達だった。

 

当たり前を当たり前としていて
「普通」を「普通」としない2人との会話は、

とてもとても新鮮で
とてもとても楽しかった。
私はたくさん泣いた。

そして

たくさん笑った。

 

怖い怖いと震える身体を
目一杯隠しながら

思い切り晒していたように思う。

蛹から羽化したてのように

身体にはそよぐ風さえも刺激で。

 

スタジオに向かう足は震えていたんだよ。

 

そんな私に
笑美子さんは「脱いだらいいよ」と提案してきた。

一瞬「え”」と思ったのは言うまでもなく。笑

 

だけど

私にとっては安くない金額を払い
身の安全を全て棄て去り
これから先の見えない一歩を踏み出そうとする。

「今の私をそのまま撮ってほしい」

まさに裸一貫という言葉通りの「今」

人の「ありのまま」を捉えるカメラの目の前で裸になる。

 

カメラを意識しないわけがない。

服を着ていてでさえ。

 

一瞬、凄まじい怖さに塗れた後

出てきた答えは

“Yes”だった。

 

私は「私」を撮ってもらうと決めてここに来たから。

何飾らずとも美しい自分を確認しに。

身を纏う全てを棄てて
そこにどんな「私」がいるのかを。

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何をどんなに話しても
怖さはちっとも拭えなかった。

それは今でもだ。

足の震えが治まったくらいで
怖さはちっともなくならない。

隙あらば逃げ帰ろうとする自分の心臓は
常にマックスで跳ね続けていた。

5月25日
フォトセッションから約2週間後

私は東京に居た。

ヒッチハイクで向かった東京で
菅原夫妻の家に泊めてもらっていた。

フォトセッションが随分前に感じられた。

まだ、2週間くらいしかたってなかったのに。

素晴らしい景色と
美味しいご飯と

面白い話に、なんだか心がソワソワした。

ここに居ていいのかな?
なんて思いながら
そんな自分が可笑しかった。

たくさんの話をしながら
写真を見せてもらった。

 

あの日は、撮った写真を殆ど見て無かったから

ドキドキしながら出来上がりを見た。
そこには

思ってもなかった写真があった。

 

プロの写真家が撮ってくれた写真というのに、

どんな期待があったのかはわからないけれど

スッピンでも

なんとなく「綺麗にセットしてメイクした写真と変わらない綺麗な写真」を期待していた自分が居た。

そこに切り取られていたのは

「綺麗な私」なんかじゃ全くなかった。

 

その日

その時間

私がどれだけ怖かったか。

私がどれだけ不安だったか。

 

それでも
行動に移す以外の選択肢などなく

踏み出した自分の勇気にも震えていたし

未来にも震えていたし
世界にも震えていた。

 

笑美子さんや宏さんとの会話に
励まされる自分
大丈夫だと言い聞かせる自分
それでも拭えない怖さと向かい合う自分

 

それらが全部切り取られて
そんな心の変遷ごと、写真の中に納められていた。

 

綺麗じゃなかった。

生々しくて
あの日の私が一気に蘇ってきた。
そんな写真の中に息づく私を
2人は
すごく美しいと言ってくれた。
写真にこんなに「生の感情」が写り込むなんて思ってなかったんだよ。
そこに写っている私は
2週間前の「生きた私」だった。

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あれから2週間。

ヒッチハイクの旅は順調で。

たくさんの人達に助けてもらった。

たくさんの人達に心配をかけた。

 

そんな中

思い切り守られてる私は
常に「今」だけを優先することに命を注いでいた。

生きることに必死と言えばそれまでだけど
本当に生まれたてのように
見聞きする世界は初めてのことばかりだった。

 

たくさんの価値観や世界があって
誰にも傷付けられる事なく

ただただ楽しかった。

疲れて寝続けるほどに。笑

 

そんな私が
あの日の私に出会えたんだよ。

 

震える足で
それでも必死に立っていた。

 

綺麗な写真ではなかったけど
込み上げる何かに、私は私を抱きしめたくなった。

よく
よく、頑張ったね、と。

 

おかげで今
憧れた人とご飯を食べている。

 

たくさんの景色と
たくさんの手に守られてきた。

 

まだまだ怖いけど
世界の温かさを存分に味わっている。

 

それもこれも

この日を迎えると決めて
歩き出してくれた、「私」のおかげだ。
その私は

こんなに

こんなに怖かったのか。
頑張った。

よく、頑張ったね。
そんな涙が、止まらなかった。

最近よく、過去の私が応援してくれることがある。

怖い何かに踏み出す時
決まって過去の私が「あの時も大丈夫だったから大丈夫!」と背中を押してくれる。

 

昔を振り返っては
よく生きてきたなぁなんて思う事もしばしばだ。

 

どれだけの人に支えられてきたんだろう?

そんな感謝以前に
私は私がこれまで生きてきたことを
最近やっと、褒めてあげられるようになってきたんだ。
意外と生きるの大変だった。

 

だからこそ
よく生きてきたなぁって。

 

菅原宏さんが撮ってくれた写真は、さ
そんな【褒めたい自分】がそのまま写真の中に居たよ。

びっくりするほどリアルな自分が、そこには居たよ。

ほんとに
ほんとに自分を抱きしめてあげられた気がしたんだよね。

 

私は

そんな私を
どこまでも信頼していける。

 

あたしを「今」に連れて来てくれたんだから。

 

あの時の怖さは
今はもう無い。

 

別の怖さと向き合う私を
同じように未来の自分が感謝しているんだろう。

 

だから、進めるんだ。

これから先も。

 

あの日を撮ってもらっていて良かった。
カメラの前で、裸で立てるほどの自分が
そこには居たんだね。
その心に
時空を超えて出逢えるなんて。

 

ありがとうございます。

この旅に何かのエンドを付ける頃
もう一度、撮ってください。

その時の私は
どんな顔をしているんだろう?

綺麗な写真じゃなく
今の自分をそのまま知る。

そんな写真。

それが、その後のあなたに何を教えてくれるかな。

私はそれを
実感したよ。

だから

笑美子さん
宏さん

フォトセッション、始めてくれてありがとう。

たくさんの人が
拭えない顔の下の「本当の自分」に出逢えますように。

それをそのまま美しいと感じる2人に、出逢えますように。
たくさんの人が
ありのままの自分を抱きしめてあげられる機会に触れられますように。

その人達の笑顔に
出逢えますように。

☆☆☆

服を脱ぎ
こころの鎧を脱ぎ

震える足でカメラの前に居続けた

生まれたばかりの小鳥のように
生々しくておぼつかない

ここまで裸になれたのは
あなたが自分のちからで生きているから

その姿は本当に美しかった

巴さん
わたしたちに
フォトセッションを続けるちからをくれてありがとう

【ノラ猫コラムニスト】
久保巴さんのブログはこちら

※アメブロには載せられない写真が
彼女のブログに載っています

ぜひご覧になっていただけたらうれしいです

 

写真:菅原宏

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