【わたしたち夫婦、なんでこんなに仲良しなんだろ?②】

141007

 

昨日の記事で、夫には
「してもらって当たり前」がほとんどないことを
綴りました。

わたしはその逆…
「してもらって当たり前」が山ほどありました。

ひとは
自分に「ない」感覚は理解ができません。

だから夫が「それはないんだ」といくら言っても
ないわけない!あるに決まっている!と
思い込んでいました。

最初に違いがあらわれたのは
食事の用意のときでした。

たとえばふたりで一緒に過ごしていて
お昼ごはん、夜ごはん
ある程度の時間が来ると、お腹がすきますよね?

そのときに、なにも食べるものがないとして
どういう気持ちになりますか?

夫は「なにか食べにいこうか」と思います。

わたしは「なにか作らなくちゃ」と思います。

違い自体は、なんら問題はありません。

どちらを選んでもいい。

そこで問題になるのは
「作らなくちゃ」と思っているわたしが
イライラしはじめることでした。

「あ~食材がない」とか
「最悪、もうこんな時間」とか
「本当は疲れてるんだけど」とか
「きちんと前から用意しなかったのが悪かった」などど
グチグチと言いはじめます。

夫はそこで
「なにもないなら食べにいく?」と言ってくれるのですが

イライラがはじまったわたしには
「なにもないんでしょ、食べにいくしかないよね?」
に聞こえるわけです。

なぜって?

夫はきっと
「わたしに食事を作ってもらって当たり前だと思っている」と
「わたしが」思っているからです。

わたしは親から
家事は女の子であるあなたがやるものなのよ、と教わってきました。

そこには
「食事を作らなければいけない呪縛」がありました。
「家事をやらなければいけない呪縛」がありました。

かといって
家事が好きだったわけではありません。

「しなければいけない」という気持ちの元に
やっていたに過ぎません。

大きな「イライラ」とセットで(苦笑)

夫はこういうとき、いつも言いました。

「僕は、笑美自身と一緒にいたいのであって
家政婦と一緒にいたいのではないんだ」と。

「そんなにイライラするくらいなら、
食事の用意なんてしなくていいのに」と。

夫と一緒に住んで7年、
食事の用意がないことを咎められたことは
本当に一度もありません。

夫にとってのパートナーとは、
「愛する対象」であり
「楽しい時間を過ごす相手」。

その夫のおかげで
わたしもニコニコと
外へ食べにいくことができるようになりました。

作りたければ
「作りたいから」で作るでしょう。
「作らなければいけない」ではなく、ね。

家事はわたしがやらなければいけないという呪縛

わたしがやらなければ、誰もやってはくれない
という不信

自分に対するそういう「締め付け」は
そっくりそのまま
夫に対しても向きました。

「男であるあなたは
稼がなければいけない(稼いでくれて当たり前)」
という気持ちとしてね。

長くなったので
続きは明日綴ります^^

いつもありがとうございます。

今日も素敵な一日をお過ごしください。

☆モデルと写真家によるポートレイト写真セミナー☆
10月16日(木)
10月29日(水)
都内某所にて開催予定です。
詳細はこちら

☆ポートレイトフォトセッション☆
10月10日(金)【満席】
10月17日(金)【満席】
10月30日(木)【満席】
11月9日(日)【満席】
ありがとうございます。
すべて満席になりました。

美在塾

美在塾とは、「本気で美しく在りたい女性のための」、人間であり、女性であり、ひとつの生き物である「多層な美しさ」について、ともに学び、実践していく場所です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です