【本物はやっぱり本物、形は所詮ただの形】
さて昨日の続き
論より証拠ということで
二枚の写真を載せてみます
一枚はわたしが選んだ写真
もう一枚は夫が選んだ写真
どちらがどちらだと思います?
なーんてもったいぶらなくても
すぐにおわかりになるかもしれませんが…
左がわたし
右が夫が選んだ写真です
左の写真をわたしが選んだ理由は
輪郭や口角が綺麗に見えて好き~とか
髪の毛が綺麗に動いて光の中にいて
なんだかとても気持ち良さそうに見える~とか
まあそんな理由です
右の写真を夫が選んだ理由は
わたしがわたしであるところ
わたしのこころに生まれただろう感情が
伝わってくるところ
確かにこのときぐんっと顎をあげたのは、
上を向くような気持ちが生まれたから
そしてこの目でカメラを見つめられたのは
そのとき自分の存在へ、みじんも疑いがなかったから
こういう写真は、
写る人が変われば絶対に撮れません
なぜならこころに生まれる感覚は
作ることは決してできないからです
輪郭や口角や髪
それらが綺麗に写っているだけでいいのなら
「わたし」でなくてもいいのです
そういう「形」を持つモデルを
そこに据えればすんでしまうのです
なんだか気持ち良さそうに見える顔
「こういう風に想像してね」と
形という説明書きを付けた写真
誰かに置き換えても作ってしまえる写真
わたしはいまだそこに
価値を置いているのだなと思い知りました
でもまあ、それもわたし
安易に形を求めるのも
それに気づいて頭を殴られたような気持ちになるのも
どちらもわたし
それでいいのだと思います
だって生きているのだもの♪
変えていこう、鍛えていこう、そしてちゃんと使い分けよう♪
どんな世界もそうだろうけれど
「形を作ることができる」スキルの方が
最初は評価(お金)になる
でもあるところまでいくと
それが通用しなくなる
本当にまったく通用しなくなる
そこを突き抜けられるかどうかは
いったん形を捨てられるかどうか
評価を捨てることができるかどうか
そして形ではないものにとことん向き合い
それを生み出すちからを養い
最後にもう一度
その感覚を形に戻すことができるかどうか
アベドンを魅了したオードリーは
そんなプロセスを
きっとたくさんたくさん踏んだのだろうな
本物はやっぱり本物
形は所詮ただの形
改めてそんなことを教えてもらった初夏の1日
みんなにもそんなことがあるかなと
シェアをさせてもらいました
は~生きているっていいですね~
今日も素敵な1日を♪