わたしの「底」だった時間

19歳の春、大学へ進学はしたものの
慣れない京都での生活に
状態はさらに悪化していました。

知らない土地で医師を探すことができず
東京の心療内科医へ連絡を取り
薬を郵送してもらっていました。

それが電話だったのか手紙だったのか
母が代わりに行ってくれていたのか、
このときもまた
わたしにはあまり記憶がありません。

 

服薬していた薬の数と量は

朝昼晩の1日3回、3種類ほど
加えて日中の頓服数回、1~2種類…

だったと思います。

 

夜の薬は、強い入眠作用を持ったもので
服薬後30分ほどで
強烈な眠気がやってきます。

今思えばあれは、眠気というより麻痺です。

身体が鉛のように重くなり、
本当に動かせなります。

そして、麻酔をかけられたかのように
毎日9時間から12時間
泥のように眠っていました。

 

パニックアタックは、
身体の症状とともに「死んでしまう」という
強い恐怖があります。

この恐怖は、本当に辛いのですが、
でも、その後に必ず
「大丈夫だ生きている」という
「生の実感」があります。

 

その頃のわたしも
そんなパニックを日々起こしてはいましたが、

実はそれに加えて、
もっと後味の悪い妙な感覚を
覚え始めていました。

 

何かの用で電車のホームに立っているとき

自分の足下が、ホームなのか線路なのか
ここが高いところなのか低いところなのか

自分は今、生きているのかいないのか
わからない

「死」への恐怖も薄く
「生」の実感も薄い世界

ホームの椅子に座ってぼーっと線路を見つめて
辛くもなく、悲しくもなく、
ただ生ぬるい
身体の感覚

時間の経過も、よくわかりません。

 

そうしているうち、
あ、そうだわたし低血糖だったんだ、と思い出す。

いつもカバンに入れてある甘い紅茶を飲んで
そのとき浮かぶ唯一である、母に電話をする。

 

そんな状況を電話で受けた母が
新幹線で飛んでくることが度々起こって
家族の心配がピークに達し

入学からわずか3ヶ月、
大学一回生の夏休みいっぱいで
大学を退学することを決めました。

 

今思えば、あの時期が「底」でした。

 

当時わたしは
自分がそういう状態であることを
ひとに打ち明けられませんでした。

唯一、保健室の看護婦さんだけは心が許せて
彼女に会いに、保健室登校をするようになっていました。

そんな中、彼女が
「大学の学生福祉で無料だからどう?」と、
臨床心理士によるカウンセリングを勧めてくれました。

 

そのカウンセリングを通して取り組んだ作業が
わたしを救ってくれることになります。

それは、「母子の関係を回復していく」作業でした。

 


緑もきれい、お花もきれい
あ~ほんとに気持ちのいい季節!

そう思えるって
本当にすばらしいこと♡ ^^

 

こころが不安定なとき
春は、5月は、もっともくるしい季節であることを
わたしもよく知っています。

 

中島みゆきさんの「時代」の
「あんな時代もあったねと いつか笑って話せるわ」

この歌詞が、ずっとわたしの支えでした。

 

そして当時活躍されていた
同い年のタレント篠原ともえさん

彼女の底抜けの明るさが、本当に救いでした。

 

もしいま、しんどい方がいらしたら
そんな小さな支えを
少しでも見つけて欲しい…

 

今日からGW!
お天気も最高ですね^^

今日も素敵ないい一日を♡

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