人は人に癒され人からちからをもらう

そうして度々京都に来るようになった母は、
わたしが毎週受けていたカウンセリングに
同席するようになりました。

そこで初めて、わたしたちは
10年前のあの経験を共有し始めました。

祖父の死から10年
母はずっと目を背けていました。

でも
「娘が、また、同じことになる」

もしかしたらそう、思ったのかもしれません、

母は、向き合うことを始めました。

その夏、母は、寝たきりになりました。

 

こころに向き合い始めた苦しさか
わたしたちの学費を稼ぐパートの過労か、

以前から持っていた脊柱側弯症が
極度に悪化したのです。

 

脊柱側弯症とは、
背骨が左右Sの字に曲がってしまうもので、
曲がった背骨が神経を圧迫し、強い痛みが現れます。

母の場合は、側弯だけでなく、
前弯後弯も含みました。

つまり左右・前後、
全ての方向へ、背骨がねじれてしまっていました。

 

それまで、どんなに熱があっても
気力で持たせて寝込まなかった母。

その母が初めて
耐えられない痛みで寝たきりになり、
痛みと不自由さに、泣くようになりました。

本当に、本当に、痛かったのでしょう。

 

でも、いつも忙しそうにしていた母と
歳の近い兄妹の中で「自分のためだけに」話ができる機会なんて
今まで一度もありませんでした。

今しかないと思ったわたしは
それまで母に対して持っていた感情を
一気に吐き出しました。

 

それを寝たまま聞いていた母は、
布団にわたしを招き入れて、抱きしめました。

それから約一ヶ月、
身体は19歳でも、心が3歳のままの
大きな赤ちゃんのわたしを、
母は毎日毎日、抱きしめました。

 

母の「強さ」と「硬さ」ゆえ
わたしたち母子の関係はとても厳しいものでした。

でも母は小さい頃、祖母の手を離れて育ったから、
愛されることも、愛することも
ただ、知らなかったのです。

 

「えみちゃんを、どうやって愛したらいいかわからなかった」

大学でのカウンセリングの際、そう言った母に
保健室の看護婦さんが
「抱かれる子供はよい子に育つ」という本を手渡してくれていました。

東京へ帰る新幹線の中で、その本を読み、
わたしを抱きしめて育てなかったことを
後悔したのだと、母は後に言っていました。

 

この一ヶ月を経て
わたしは少しずつ
生きる活力を取り戻していきました。

退学申請を取り消して京都へ戻る決意をし、
向精神薬の服薬を続けながらではありましたが、
「死を願うほど苦しい」という状況から
徐々に脱していきました。

 

 

「母」

わたしたちを育てたあの母ではなく、
「母という存在」としてこころの中にある。

 

こころの中の「母」へ、
みなさんはいま、
どんな思いがありますか?

 

わたしと医療の関わりについて綴るのに
母のことを書く必要はあるのかと
実は考えました。

でも書くことにしました。

「人は、人に癒され、人から力をもらう」ということを、
このとき知ったからです。

わたしを「底」から救ってくれたのは、母でした。

そしてその頃一緒にいてくれた、人でした。

 

とは言え実は、
このとき母がしてくれたことを
書いてみるまですっかり忘れていました。

このあと就職から結婚、ホメオパシーと
多くの反対非難を受けた思いが強すぎて、
19歳のこの夏の出来事を、忘れていたのです。

自分の都合のいいように
相手を解釈していました。

反省いっぱいです。

 

写真は
兄が5歳、わたしが3歳のときのものです。

東京ですが、のどかです。

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